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裁判官の仕事井上判事の再任「不適当」=裁判官指名諮問委=差替 [ 12月10日 12時19分 ] Excite エキサイト : 主要ニュース 自分が関係する建築物で、施主側として6年強の裁判をした経験があります。 地裁-高裁-和解という流れで、実質的には、こちらの主張が認められた裁判でした。 (建築裁判全体を見ると、異例の方にはいると思います。) 裁判官も、人事異動が比較的頻繁に起こるようで、この間、都合4人の裁判官が担当しました。 裁判官ももちろん人間なので、ということはありますが、相性というか真剣味というかは、かなり人によって違う印象を受けました。特に、判決を自分では下さない人(人事異動のタイミングから、だいたい予想できるのだと思います。)は、本質的な事件の理解よりも、情報を確認し、過去の判例に沿って主張を集めるという感じで、どちらかというと機械的な感じも受けました。(これは、悪いと言っているのではなく、意識的か無意識的か、はたまた組織の意志かはわかりませんが、そういう役割分担があるんだろうなと言うことです。) そういった事情を見ていると、いくら判事の独立性といっても、やはり、そこは組織なので、組織の論理というか秩序というようなことは当然あるんだろうなと思います。 なので、この記事を見たときに、裁判所内に渦巻く人間模様のようなものが頭を巡ったわけですが、法曹界の人たちなので、それぞれにその線引きを法秩序に求めるがちなのかなと、それでは人間関係としては、少し微妙な感じだな、と思った次第です。 話は脱線しますが、自分が裁判の一当事者として施主をサポートする側になってみると、裁判はやはり戦いなのかなとも思いました。 自分たちの信念はもちろん信じていましたが、正しい方というよりは、やはりうまく戦った方が勝てるのかなというのが、正直な印象です。一歩間違えれば、全面敗訴と言うことだってありえたやりとりでしたので。 建築裁判では、施主側が通常、圧倒的に不利なことが多いように思います。それは、正義かどうかというより、戦い方を知らない(多くの弁護士さんを含めて)ことが原因だと思います。 正しいことは、勝ってこそ証明される、という、何となく素人目には悲しいような、社会としては当たり前のような経験でした。 余談になりますが、建築裁判で、絶対に正しいのに不利な状況にいらっしゃる方がいらっしゃいましたら、お気軽にご相談ください。
by o-hisasi
| 2005-12-10 13:13
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